岡城跡の桜
2021年03月31日 (水)
大分県竹田市の桜の咲く岡城跡へ。
☆ 03月26日 (金) ☀
天気もいいので岡城跡の桜を見に。
駐車場に車を停め、入場料を払って岡城址へ出発。
駐車場からの城跡。

説明版。

岡城登城口。

ここから少し坂道を上って。

ここ岡城跡は石垣の縁には柵もロープも何もないので、
高所恐怖症の私目は足がブルブルで~す。

ご覧の通り。
断崖絶壁で難攻不落の堅城と謳われる岡城。

石垣と桜を。




城内をぶらり。


横顔だが「荒城の月」を作曲した瀧廉太郎の像と桜。

正面から。

後方にはくじゅう連山が。
これから先の写真は、知らないうちにコンデジのレンズフィルターに汚れが付着してたので、普通でも下手なのに少々ボケてる個所のある写真になった😢。
最後に寄った西の丸御殿跡の、菜の花と桜。




途中のベンチでお昼の弁当を食したりと、2時間程の工程だった。
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大分県竹田市の桜の咲く岡城跡へ。
☆ 03月26日 (金) ☀
天気もいいので岡城跡の桜を見に。
駐車場に車を停め、入場料を払って岡城址へ出発。
駐車場からの城跡。

説明版。


岡城登城口。


ここから少し坂道を上って。



ここ岡城跡は石垣の縁には柵もロープも何もないので、
高所恐怖症の私目は足がブルブルで~す。

ご覧の通り。
断崖絶壁で難攻不落の堅城と謳われる岡城。

石垣と桜を。






城内をぶらり。




横顔だが「荒城の月」を作曲した瀧廉太郎の像と桜。

正面から。

後方にはくじゅう連山が。
これから先の写真は、知らないうちにコンデジのレンズフィルターに汚れが付着してたので、普通でも下手なのに少々ボケてる個所のある写真になった😢。
最後に寄った西の丸御殿跡の、菜の花と桜。




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新阿蘇大橋
2021年03月19日 (金)
3月7日開通の熊本県の新阿蘇大橋へ。
☆ 03月11日 (木) ☀
2016年4月の熊本地震で崩落した阿蘇大橋に替わる、国道325号新阿蘇大橋が3月7日に開通。

片側1車線の全長525メートルの車道のほか、下流側に歩道も設けられている。


新阿蘇大橋の開通にあわせ新たな展望所「ヨ・ミュール」が落成。


「ヨ・ミュール」の名称は「良く見える」という熊本の方言から名づけられたそうです。
設置された建物は南阿蘇村の仮設団地の集会施設「みんなの家」として使われていたものを移築されたようです。
国道の左右に駐車場が整備されている。

展望所からの新阿蘇大橋を。

反対側より。

駐車場の行き来は国道に横断歩道がないので、側の階段を上り下りし橋の下を通らなければならないようです。

崩壊した数鹿流崩之碑展望所にも行ってみることに。


熊本地震でも最大級の土砂崩れが発生した場所。安定化工事を終え、2020年10月3日には下を通る国道57号線も開通。
展望所からは崩落した旧阿蘇大橋の橋桁。


工事完成記念碑が。

工事完成記念碑の碑文。
平成二十八年四月十六日、熊本・阿蘇地方を襲った最大震度七の大地震により、黒川右岸山頂付近より大規模山腹崩壊が発生。国道五七号、豊肥本線、国道三二五号阿蘇大橋が被災し、熊本と阿蘇を結ぶ交通が絶たれ、大学生一名の尊い命が奪われた。
被災翌月、国道轄砂防事業による復旧工事に着手し、最先端の無人化施工技術を用いた懸命の工事を経て、令和二年十月に工事が完成した。この大崩れを、震災の記憶と、険しい自然に対する人々の挑戦の歴史を語り継ぐ遺構として「数鹿流崩れ」と命名し、ここに記念碑を建立する。
と書かれている。
そして新阿蘇大橋を望むことができるが、近くまで行かなかったのでこんな写真になった・・・😢。

写真の真ん中付近が新阿蘇大橋。
なので上空からの新聞報道の写真を拝借。

帰りに、道の駅 ”あそ望の郷くぎの” や ”阿蘇”、修復が進む阿蘇神社に寄って帰宅。
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3月7日開通の熊本県の新阿蘇大橋へ。
☆ 03月11日 (木) ☀
2016年4月の熊本地震で崩落した阿蘇大橋に替わる、国道325号新阿蘇大橋が3月7日に開通。

片側1車線の全長525メートルの車道のほか、下流側に歩道も設けられている。



新阿蘇大橋の開通にあわせ新たな展望所「ヨ・ミュール」が落成。




「ヨ・ミュール」の名称は「良く見える」という熊本の方言から名づけられたそうです。
設置された建物は南阿蘇村の仮設団地の集会施設「みんなの家」として使われていたものを移築されたようです。
国道の左右に駐車場が整備されている。


展望所からの新阿蘇大橋を。

反対側より。

駐車場の行き来は国道に横断歩道がないので、側の階段を上り下りし橋の下を通らなければならないようです。

崩壊した数鹿流崩之碑展望所にも行ってみることに。



熊本地震でも最大級の土砂崩れが発生した場所。安定化工事を終え、2020年10月3日には下を通る国道57号線も開通。
展望所からは崩落した旧阿蘇大橋の橋桁。



工事完成記念碑が。


工事完成記念碑の碑文。
平成二十八年四月十六日、熊本・阿蘇地方を襲った最大震度七の大地震により、黒川右岸山頂付近より大規模山腹崩壊が発生。国道五七号、豊肥本線、国道三二五号阿蘇大橋が被災し、熊本と阿蘇を結ぶ交通が絶たれ、大学生一名の尊い命が奪われた。
被災翌月、国道轄砂防事業による復旧工事に着手し、最先端の無人化施工技術を用いた懸命の工事を経て、令和二年十月に工事が完成した。この大崩れを、震災の記憶と、険しい自然に対する人々の挑戦の歴史を語り継ぐ遺構として「数鹿流崩れ」と命名し、ここに記念碑を建立する。
と書かれている。
そして新阿蘇大橋を望むことができるが、近くまで行かなかったのでこんな写真になった・・・😢。

写真の真ん中付近が新阿蘇大橋。
なので上空からの新聞報道の写真を拝借。

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綱敷天満宮の梅
2021年03月01 (月)
天気もいいし、築上郡築上町の綱敷天満宮で「しいだ梅祭り」が開催されてるのでの梅の花を見に。
☆ 02月23日 (火) ☀
久し振りの綱敷八幡宮の大鳥居。

綱敷天満宮は菅原道真公ゆかりの天満宮である。「左遷された道真公が大宰府に赴任する途中、嵐に遭遇し、この浜にたどり着いたとされている。この時、漁船の網の綱を敷いて休んでいただいた。道真公はここでしばらく休養され筑紫に向かわれた。」という故事」により「綱敷天満宮」と称されたとされている。道真公はここでしばらく休養され筑紫に向かわれた。後に、豊後国主木下延俊両公によって現在の社殿が造営されたという。(HPより)
駐車場はかなり混雑。
まず出店で焼きそばを買って、豊前海を見渡す海岸で昼食タイム。

この海岸は潮干狩りが出来、一度だけ来たことが。
腹ごしらえをし参道から本殿へ。

お参りの人が並んでいます。
本殿近くにはピンクの梅が。



自分的にはピンク色の梅が好きですね。
周りをうろうろ。
他の場所は白梅が多いようです。



赤い梅も早咲きみたいで何本か。

鳥居といっしょに。

こちらの奥の方の梅林は、以前来た時もそうだったが花の咲きが悪いようだ。
メジロがあまりいなくてやっと一枚パチリ。

まあまあの見頃で満足満足。
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綱敷天満宮は菅原道真公ゆかりの天満宮である。「左遷された道真公が大宰府に赴任する途中、嵐に遭遇し、この浜にたどり着いたとされている。この時、漁船の網の綱を敷いて休んでいただいた。道真公はここでしばらく休養され筑紫に向かわれた。」という故事」により「綱敷天満宮」と称されたとされている。道真公はここでしばらく休養され筑紫に向かわれた。後に、豊後国主木下延俊両公によって現在の社殿が造営されたという。(HPより)
駐車場はかなり混雑。
まず出店で焼きそばを買って、豊前海を見渡す海岸で昼食タイム。


この海岸は潮干狩りが出来、一度だけ来たことが。
腹ごしらえをし参道から本殿へ。


お参りの人が並んでいます。
本殿近くにはピンクの梅が。





自分的にはピンク色の梅が好きですね。
周りをうろうろ。
他の場所は白梅が多いようです。




赤い梅も早咲きみたいで何本か。

鳥居といっしょに。


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