日光&東京観光 ③
- 2019/11/11
- 21:33
2019年11月11日(月)
日光&東京観光 ②から続き。
☆ 10月28(月) ☀
東照宮から二荒山神社へ来ました。

二荒山神社の主祭神は招福や縁結びの神様、大己貴命(おおなむちのみこと)がまつられており、現在では縁結びのご利益でも人気の社です。
本社・社殿は1619年徳川秀忠により造営されたもので日光山内に残された建物のなかで最も古いものになっています。
大鳥居をくぐります。

日光二荒山神社の鳥居は「良い縁鳥居」とも呼ばれているようです。
本殿前の門は「神門」と呼ばれているようで、

その先に縁結びの巨大な笹の輪がお目見え。
良縁を願って左右から8の字を描くように3回くぐるそうです。
神門を挟んで、左に夫婦杉、右に親子杉です。

夫婦杉は1つの根から二本の杉が仲良く寄り添って立っている御神木で、
夫婦円満の御利益があると言われています。
親子杉も夫婦杉と同様に1つの根から木が生えているように見えますが、
夫婦杉とは異なり大・中・小と3本生えています。
残念ながら一番右に生えてる小の木が写ってません。
拝殿に向かいます。

本殿の横に立つ2.3mの唐銅製、春日造りの灯籠です。
夜更けに燈籠に火を灯すと、その様子が怪しげに見え、警護の武士たちが化け物と 度々間違えて切りつけることから化灯篭と呼ばれたそうです。

灯籠のへりには武士たちに切りつけられたという刃傷が残されています。
次は大国殿。

二荒山神社の主神は大国主命(おおくにぬしのみこと)だが、この「大国」がダイコクと読めることから 七福神の大黒天と同一視され人々に幸福を招く神として大国殿が祀られるようになったそうです。
しばらく進むと御神木胎内くぐりや二荒霊泉が。

大木は境内に自生していたスギの木で神木でもあることから、幹の中(胎内)をくぐることでご利益があるとされているようです。
二荒霊泉は知恵がつき、目の病気に効き、若返ると言われる、3種類の不思議なパワーを得られるお水があります。
次は最後の輪王寺大猷院です。
輪王寺大猷院は三代将軍家光の霊廟(墓所)。「大猷院」とは家光の法号のことであり「死後も家康(東照大権現)にお仕えする」と云う家光の遺言を受け、四代将軍家綱が建立を1652年命じたそうです。
まずは入口の仁王門。
大猷院の表玄関で阿吽が仁王門を守る朱塗りの八脚門、仁王門です。

大猷院の表玄関で阿吽が仁王門を守る朱塗りの八脚門、仁王門です。
左右の門には身の丈3.2mもある密迹金剛(みしゃくこんごう)と那羅延金剛(ならえんこんごう) の二対の仁王像が睨みをきかせています。

次は二天門。
二天門は石段上にある八脚楼門入母屋造りの門でその上部には後水尾天皇の筆による 「大猷院」の額が掲げられています。
日光山内で最も大きな門で左に東を守る持国天、右に西を守る広目天が立ち、裏門には風神、雷神の像が立っています。
中央の「大猷院」の文字は東照宮と同じく「御水尾天皇」のお手によるものだそうです。


四天王のなかで「持国天(じこくてん)」と「広目天(こうもくてん)」を祀っていることから「 二天門 」といい、大猷院の門の中では一番大きな門だそうです。
門の後ろ側には風神・雷神を安置してあるパワーあふれる門です。

「風神・雷神」の像がおかれています。風神は風邪袋を持っていて手の指が四本です。「東西南北」をあらわし、雷神は太鼓を持っていて手の指は三本です。「現在・過去・未来」を表しています。そして、どちらも足の指は二つに分かれていて「天」と「地」を表しているのだそうです。
次に東照宮でいえば陽明門にあたる夜叉門です。


表門の夜叉像の名前。

「毘陀羅・びだら」(赤色)「南の方角を守護」、「阿跋摩羅・あばつまら」(緑色)「北の方角を守護」。
裏側の夜叉像の名前。

「烏摩勤伽・うまろきゃ」(青色)「東の方角を守護」、「鍵陀羅・けんだら」(白色)「西の方角を守護」。
ここをくぐって拝殿の入口の唐門へ。

ここまできましたが拝殿の裏の方へ行きださず写真はネットより拝借しました。
家光の墓所の奥の院があります大猷院の皇嘉門です。

ここから先は非公開です。
一応、日光山内の二社一寺巡りは終了です。
見逃した箇所も多々ありますが満足です。
はとバスも出発地の上野へ戻り、
上野(東京メトロ銀座線) →→→ 上野広小路(徒歩・乗換) →→→ 上野御徒町(都営大江戸線) →→→ 春日
で連泊のホテルへ。
日光&東京観光 ④へ続く。
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☆ 10月28(月) ☀
東照宮から二荒山神社へ来ました。

二荒山神社の主祭神は招福や縁結びの神様、大己貴命(おおなむちのみこと)がまつられており、現在では縁結びのご利益でも人気の社です。
本社・社殿は1619年徳川秀忠により造営されたもので日光山内に残された建物のなかで最も古いものになっています。
大鳥居をくぐります。

日光二荒山神社の鳥居は「良い縁鳥居」とも呼ばれているようです。
本殿前の門は「神門」と呼ばれているようで、

その先に縁結びの巨大な笹の輪がお目見え。
良縁を願って左右から8の字を描くように3回くぐるそうです。
神門を挟んで、左に夫婦杉、右に親子杉です。

夫婦杉は1つの根から二本の杉が仲良く寄り添って立っている御神木で、
夫婦円満の御利益があると言われています。
親子杉も夫婦杉と同様に1つの根から木が生えているように見えますが、
夫婦杉とは異なり大・中・小と3本生えています。
残念ながら一番右に生えてる小の木が写ってません。
拝殿に向かいます。

本殿の横に立つ2.3mの唐銅製、春日造りの灯籠です。
夜更けに燈籠に火を灯すと、その様子が怪しげに見え、警護の武士たちが化け物と 度々間違えて切りつけることから化灯篭と呼ばれたそうです。



灯籠のへりには武士たちに切りつけられたという刃傷が残されています。
次は大国殿。

二荒山神社の主神は大国主命(おおくにぬしのみこと)だが、この「大国」がダイコクと読めることから 七福神の大黒天と同一視され人々に幸福を招く神として大国殿が祀られるようになったそうです。
しばらく進むと御神木胎内くぐりや二荒霊泉が。



大木は境内に自生していたスギの木で神木でもあることから、幹の中(胎内)をくぐることでご利益があるとされているようです。
二荒霊泉は知恵がつき、目の病気に効き、若返ると言われる、3種類の不思議なパワーを得られるお水があります。
次は最後の輪王寺大猷院です。
輪王寺大猷院は三代将軍家光の霊廟(墓所)。「大猷院」とは家光の法号のことであり「死後も家康(東照大権現)にお仕えする」と云う家光の遺言を受け、四代将軍家綱が建立を1652年命じたそうです。
まずは入口の仁王門。
大猷院の表玄関で阿吽が仁王門を守る朱塗りの八脚門、仁王門です。

大猷院の表玄関で阿吽が仁王門を守る朱塗りの八脚門、仁王門です。
左右の門には身の丈3.2mもある密迹金剛(みしゃくこんごう)と那羅延金剛(ならえんこんごう) の二対の仁王像が睨みをきかせています。


次は二天門。
二天門は石段上にある八脚楼門入母屋造りの門でその上部には後水尾天皇の筆による 「大猷院」の額が掲げられています。
日光山内で最も大きな門で左に東を守る持国天、右に西を守る広目天が立ち、裏門には風神、雷神の像が立っています。
中央の「大猷院」の文字は東照宮と同じく「御水尾天皇」のお手によるものだそうです。



四天王のなかで「持国天(じこくてん)」と「広目天(こうもくてん)」を祀っていることから「 二天門 」といい、大猷院の門の中では一番大きな門だそうです。
門の後ろ側には風神・雷神を安置してあるパワーあふれる門です。


「風神・雷神」の像がおかれています。風神は風邪袋を持っていて手の指が四本です。「東西南北」をあらわし、雷神は太鼓を持っていて手の指は三本です。「現在・過去・未来」を表しています。そして、どちらも足の指は二つに分かれていて「天」と「地」を表しているのだそうです。
次に東照宮でいえば陽明門にあたる夜叉門です。


表門の夜叉像の名前。


「毘陀羅・びだら」(赤色)「南の方角を守護」、「阿跋摩羅・あばつまら」(緑色)「北の方角を守護」。
裏側の夜叉像の名前。


「烏摩勤伽・うまろきゃ」(青色)「東の方角を守護」、「鍵陀羅・けんだら」(白色)「西の方角を守護」。
ここをくぐって拝殿の入口の唐門へ。

ここまできましたが拝殿の裏の方へ行きださず写真はネットより拝借しました。
家光の墓所の奥の院があります大猷院の皇嘉門です。

ここから先は非公開です。
一応、日光山内の二社一寺巡りは終了です。
見逃した箇所も多々ありますが満足です。
はとバスも出発地の上野へ戻り、
上野(東京メトロ銀座線) →→→ 上野広小路(徒歩・乗換) →→→ 上野御徒町(都営大江戸線) →→→ 春日
で連泊のホテルへ。
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