2019年12月07日 (土)-----島根・広島・山口 ②より-----
無料の松江自動車道と、中国やまなみ街道を利用し広島県三原市の佛通寺へ。
一方通行の道を案内通り進み到着。
多くの車と観光客ですが、運よく駐車場にすぐ停められました。
佛通寺の見取図と説明です。

佛通寺は応永4(1397)年、沼田高山城主の小早川春平が、名僧愚中周及佛徳大通禅師を迎えて開いた日本屈指の参禅道場として知られる臨済宗佛通寺派の大本山です。(HPより)
まず参道の紅葉です。





開山堂と地蔵堂へ石段を上って、

到着です。

地蔵堂(左)、開山堂(右)です。

側には多宝塔が。

多宝塔から見る佛通寺です。

石段を下って佛通寺川沿いの紅葉を。

(左)寺の山門をくぐって境内に。(右)境内から巨蟒橋を。

境内から見える多宝塔。

寺内からの紅葉。

目の保養をし今日の宿探し・・・どこへ行こうか。
北広島町の、道の駅 豊平どんぐり村へ行くことに。
ここは以前一度お世話になった道の駅で、温泉が併設されているので夕方遅くなったので助かりました。
併設の龍頭温泉に入浴し途中で仕入れた食材で晩酌です。
本日の宿泊地
道の駅 豊平どんぐり村 です。
立寄り湯は
龍頭温泉 です。
( 走行距離 287.7 ㎞ 給油 30.0 ℓ )
☆
11月25日(月) ☁時々🌂 朝起きると、お泊まりの車はは3台だけでした。

今日は山陰の海岸線を通り、道の駅で野菜等仕入れながら帰宅の途です。
昼食は、道の駅 萩しーまーとで。
何回も萩を訪れているが、萩城跡に入城したことないので、せっかくなので行くことに。

萩城は毛利輝元が関ヶ原の戦いで敗れた後、慶長9年(1604)に築城されました。
指月山の山麓にあることから別名指月城とも名付けられたそうです。
天守台 〔左端〕 と指月山です。

かつては高さ14.5メートルの5層の天守閣がありましたが、明治7年(1874)に廃城令のため建物が全て解体され、現在は「天守閣跡」として、石垣のみが存在します。

天守閣跡の後ろには、国の天然記念物に指定された「指月山」も眺めることができる。
花江茶亭です。

藩主毛利敬親の別邸にあった茶室を明治20年に移築したもで、幕末の頃、毛利敬親は家臣とともに、ここで国事の密議を行っていたそうです。
石造りの鳥居が見え、奥へ進むと大きな狛犬が、そのさらに奥に「志都岐山神社」があります。

志都岐山神社には、毛利元就、隆元、輝元、敬親、元徳を5柱として初代から12代の歴代藩主が祀られているようです。
萩城には白い石が石垣としてたくさん使われています。



約1億年前の火山によってできた崗岩という種類の石を使用していて、硬くて風化に強い性質があるそうです。
入口には毛利輝元公像が。

毛利輝元は、戦国時代後期から江戸時代初期に活躍した中国地方を代表する大名です。輝元は中国地方8ヶ国120万石所有する大名に成長し、1589年には広島城を築城しました。1600年の関ヶ原の戦いで西軍の総大将でしたが、戦いに敗れた後萩に移り、萩城を築城したそうです。
平日でもありますが、寂しいながらここにはほとんど観光客が見られませんでした。
後はゆっくりと帰宅です。
久し振りの短期の車中泊の旅でした。夜もそんなに寒くなく、FFヒーターも若干入れた程度です。
今年はもう車中泊の予定もなく楽しみは来年に。
( 走行距離 303.2 ㎞ 給油 ℓ )
(総走行距離 1,120.4 ㎞)
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