宮崎プチ旅
- 2020/03/01
- 12:33
2020年03月01日 (日)
福岡ソフトバンクホークスの春季キャンプや、宮崎ツーデーマーチに参加する計画を予定してのですが、義母が転倒し足の股関節骨折で入院、手術で行かれず。
症状も一息ついたし義姉も来てくれていたので、ちょっと宮崎方面へ2泊3日の車中泊の旅へ。
☆ 02月24日 (月) ☀
9時頃出発。
東九州自動車道など通り宮崎方面へ。
途中の道の駅 北浦のレストランで贅沢な昼食タイム。海の方は海水浴場になっていた。

15時過ぎにサンメッセ日南に到着。
宮崎方面には度々訪れているが、サンメッセ日南のモアイ像はいつもスルーしてたのでやっと訪れてました。


最初に太陽の丘にある蝶の地上絵。


「海を見るヴォワイアン」という像ですが、

中国人らしき人達が像の間に座って写真を撮っていたのでネットから写真を拝借。
見たかったモアイ像。



そしてこのモアイ像は、世界で唯一、イースター島の長老会に許可を得て復刻されたものなのだそうです。
ちなみにモアイの『モ』は未来、『アイ』は生きるという意味があり、モアイとはつまり『未来に生きる』という意味なのだそうです。

サンメッセ日南に並ぶ7体のモアイは、いろいろな運気を上昇させるパワーを持っています。
海に向かって左側から順に(1)仕事運(2)健康運(3)恋愛運(4)全体運(夢叶う)(5)結婚運(6)金運(7)学力運で、特に左から3番目の恋愛運と右から2番目の金運のモアイが人気だとか。
夕方も遅くなったので、この付近に来た時の定宿へ、温泉が併設されてる道の駅 ゆ~ぱるのじりへ。
到着がちょっと遅くなったので急いで併設の温泉で汗を流し晩酌タイムです。

本日の宿泊地 道の駅 ゆ~ぱるのじり です。
立寄り湯は ゆ~ぱるのじり です。
( 走行距離 448.6 ㎞ 給油 ℓ )
☆ 02月25(火) ☀➝☁
ホークスの春季キャンプは昨日で終了で、リハビリ組など大分福岡に戻った選手もいるが、ロッテマリーンズとの練習試合がキャンプ地のアイビースタジアムであるので見学に(勿論無料)。
さすがにキャンプが終わってるので人数は少なめで選手の練習もあまり行われていません。
13時からのロッテとの試合が近づくといくらか増えて来ました。

サブ球場ではキャッチャーの練習。
甲斐選手(左)と高谷選手(右)。

その他、選手のスナップ。
左から、内川・牧原・岩崎選手。

左から、嘉弥真・東浜・森選手。

高橋(純)選手。
試合時間も近づいたので球場へ。
(左)先発の和田選手、(中)育成選手のリチャードとFAで移籍してきたバレンティン選手、(右)ロッテにFAで移籍した福田選手。

試合前の練習と、

先発メンバー。

スタンドの様子。

両チーム共、中々点が取れなかったが、ワンチャンスを生かしたホークスの勝利です。

今日はここだけの予定だったので、明日の為に延岡方面へ移動です。
ここも何回か利用した道の駅 日向へ。併設の温泉で汗を流して晩酌タイム。

本日の宿泊地 道の駅 日向 です。
立寄り湯は 日向サンパーク温泉 です。
( 走行距離 100.2 ㎞ 給油 ℓ )
☆ 02月26(水) ☁➝☀
朝ゆっくり出発し延岡城跡へ。


江戸時代に高橋元種によって築かれた平山城で当初は縣城と呼ばれたが、後に延岡城へ改称されたそうで、現在は城山公園となってます。
三の丸跡地の方から上って、三階櫓へ。


三階櫓は、関東周辺譜代大名を中心に造られた「天守代用三階櫓」と同様、延岡城の天守とみなされた本城を代表する建築物で、1階部分は東西5間、南北6間の広さ、高さは土台下から7間5尺9寸あり、城内で最も大きな建物で、天和3年(一説によると天和2年)に焼失したとされています。(HPより)
天守台跡へ。

城山の鐘があります。

明治11年から鐘守により現在も続く時報鐘として1日6回(6時・8時・10時・12時・15時・17時)、鐘守の手によって市民に時を知らせているようです。
天守台を下りて二階門跡へ。

二階門(櫓門)は、千人殺しの石垣西側の長坂門から本丸までの経路を護る「内枡形門」で、二階部分が櫓、下部が開閉式の門になって、門の大きさは南北3間、東西8間半あり、城内では三階櫓に次ぐ規模の建物でした。(HPより)
見どころは二ノ丸前にそびえ立つ「千人殺しの石垣」です。


石垣は法長約22m、高さ約19mあり、一番下の根石を外すと石垣全体が一度に崩れ、「千人の敵兵を殲滅する」と言われ、通称「千人殺しの石垣」と呼ばれています。(HPより)
平成5年に復元された北大手門。

そろそろお昼時。地元で食べている辛麺が延岡が本場なので食することに。

こちらで食べてる辛麺より塩気が少なく、とても美味しくいただきました。
もう一か所、西郷隆盛宿陣跡資料館へ。

「和田越の決戦」に大敗北を喫した西郷隆盛軍が、北川に逃れた際に立ち寄ったゆかりの家です。現在は、資料館として整備され、隆盛愛用の遺品や戦争資料が展示されています。
資料館の中の様子。

銃や刀のレプリカを展示してましたが、刀はかなり重たかったですね。


1877(明治10)年の西南戦争で、西郷軍は征討軍(政府軍)に最後の決戦を挑み敗れる。西郷は軍の解散を決意し、陸軍大将の軍服をその場で焼いたという。西郷たちはその後、近くの可愛岳(えのだけ)を突破し、九州山地を踏破して鹿児島に戻っていった。(HPより)
後は下道を通って帰宅。2泊3日の宮崎車中泊の旅でした。
( 走行距離 265.2 ㎞ 給油 ℓ )
( 総 走行距離 814.0 ㎞ 給油 ℓ )
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福岡ソフトバンクホークスの春季キャンプや、宮崎ツーデーマーチに参加する計画を予定してのですが、義母が転倒し足の股関節骨折で入院、手術で行かれず。
症状も一息ついたし義姉も来てくれていたので、ちょっと宮崎方面へ2泊3日の車中泊の旅へ。
☆ 02月24日 (月) ☀
9時頃出発。
東九州自動車道など通り宮崎方面へ。
途中の道の駅 北浦のレストランで贅沢な昼食タイム。海の方は海水浴場になっていた。



15時過ぎにサンメッセ日南に到着。
宮崎方面には度々訪れているが、サンメッセ日南のモアイ像はいつもスルーしてたのでやっと訪れてました。


最初に太陽の丘にある蝶の地上絵。




「海を見るヴォワイアン」という像ですが、

中国人らしき人達が像の間に座って写真を撮っていたのでネットから写真を拝借。
見たかったモアイ像。





そしてこのモアイ像は、世界で唯一、イースター島の長老会に許可を得て復刻されたものなのだそうです。
ちなみにモアイの『モ』は未来、『アイ』は生きるという意味があり、モアイとはつまり『未来に生きる』という意味なのだそうです。

サンメッセ日南に並ぶ7体のモアイは、いろいろな運気を上昇させるパワーを持っています。
海に向かって左側から順に(1)仕事運(2)健康運(3)恋愛運(4)全体運(夢叶う)(5)結婚運(6)金運(7)学力運で、特に左から3番目の恋愛運と右から2番目の金運のモアイが人気だとか。
夕方も遅くなったので、この付近に来た時の定宿へ、温泉が併設されてる道の駅 ゆ~ぱるのじりへ。
到着がちょっと遅くなったので急いで併設の温泉で汗を流し晩酌タイムです。


本日の宿泊地 道の駅 ゆ~ぱるのじり です。
立寄り湯は ゆ~ぱるのじり です。
( 走行距離 448.6 ㎞ 給油 ℓ )
☆ 02月25(火) ☀➝☁
ホークスの春季キャンプは昨日で終了で、リハビリ組など大分福岡に戻った選手もいるが、ロッテマリーンズとの練習試合がキャンプ地のアイビースタジアムであるので見学に(勿論無料)。
さすがにキャンプが終わってるので人数は少なめで選手の練習もあまり行われていません。
13時からのロッテとの試合が近づくといくらか増えて来ました。



サブ球場ではキャッチャーの練習。
甲斐選手(左)と高谷選手(右)。


その他、選手のスナップ。
左から、内川・牧原・岩崎選手。



左から、嘉弥真・東浜・森選手。



高橋(純)選手。

試合時間も近づいたので球場へ。
(左)先発の和田選手、(中)育成選手のリチャードとFAで移籍してきたバレンティン選手、(右)ロッテにFAで移籍した福田選手。



試合前の練習と、

先発メンバー。

スタンドの様子。



両チーム共、中々点が取れなかったが、ワンチャンスを生かしたホークスの勝利です。

今日はここだけの予定だったので、明日の為に延岡方面へ移動です。
ここも何回か利用した道の駅 日向へ。併設の温泉で汗を流して晩酌タイム。


本日の宿泊地 道の駅 日向 です。
立寄り湯は 日向サンパーク温泉 です。
( 走行距離 100.2 ㎞ 給油 ℓ )
☆ 02月26(水) ☁➝☀
朝ゆっくり出発し延岡城跡へ。



江戸時代に高橋元種によって築かれた平山城で当初は縣城と呼ばれたが、後に延岡城へ改称されたそうで、現在は城山公園となってます。
三の丸跡地の方から上って、三階櫓へ。




三階櫓は、関東周辺譜代大名を中心に造られた「天守代用三階櫓」と同様、延岡城の天守とみなされた本城を代表する建築物で、1階部分は東西5間、南北6間の広さ、高さは土台下から7間5尺9寸あり、城内で最も大きな建物で、天和3年(一説によると天和2年)に焼失したとされています。(HPより)
天守台跡へ。


城山の鐘があります。

明治11年から鐘守により現在も続く時報鐘として1日6回(6時・8時・10時・12時・15時・17時)、鐘守の手によって市民に時を知らせているようです。
天守台を下りて二階門跡へ。

二階門(櫓門)は、千人殺しの石垣西側の長坂門から本丸までの経路を護る「内枡形門」で、二階部分が櫓、下部が開閉式の門になって、門の大きさは南北3間、東西8間半あり、城内では三階櫓に次ぐ規模の建物でした。(HPより)
見どころは二ノ丸前にそびえ立つ「千人殺しの石垣」です。




石垣は法長約22m、高さ約19mあり、一番下の根石を外すと石垣全体が一度に崩れ、「千人の敵兵を殲滅する」と言われ、通称「千人殺しの石垣」と呼ばれています。(HPより)
平成5年に復元された北大手門。

そろそろお昼時。地元で食べている辛麺が延岡が本場なので食することに。



こちらで食べてる辛麺より塩気が少なく、とても美味しくいただきました。
もう一か所、西郷隆盛宿陣跡資料館へ。



「和田越の決戦」に大敗北を喫した西郷隆盛軍が、北川に逃れた際に立ち寄ったゆかりの家です。現在は、資料館として整備され、隆盛愛用の遺品や戦争資料が展示されています。
資料館の中の様子。






銃や刀のレプリカを展示してましたが、刀はかなり重たかったですね。



1877(明治10)年の西南戦争で、西郷軍は征討軍(政府軍)に最後の決戦を挑み敗れる。西郷は軍の解散を決意し、陸軍大将の軍服をその場で焼いたという。西郷たちはその後、近くの可愛岳(えのだけ)を突破し、九州山地を踏破して鹿児島に戻っていった。(HPより)
後は下道を通って帰宅。2泊3日の宮崎車中泊の旅でした。
( 走行距離 265.2 ㎞ 給油 ℓ )
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